2011年3月2日水曜日

Nisqually Earthquakeから10年

2月22日、ニュージーランド Christchurchで発生したマグニチュード6.3の地震では、多くの方が犠牲になり、未だ日本人を含む多数の方が行方不明と聞く。改めて地震の恐ろしさを再認識した。被災された方のご苦労、ご心痛を察するとともに、一日も早くもとの生活に戻れることを願う。

シアトルも2月28日マグニチュード6.8のNisqually地震から丸10年を迎えた。

この地震で被災したウォーターフロント沿いのAlaskan Viadictのトンネル化や防潮堤の取り替え工事が具体化する現在、トンネル工事の巨額の費用負担をめぐりシアトル市が反対。しかし、この高架橋、現在応急修理のみであり、市民の安全確保という観点から、一日も早い解決を望むところである。

このNisqually地震で特にPioneer Squareで建物の被害が出たと聞く。

Pioneer Square、シアトル発祥の地で、1889年の大火災(Great Seattle Fire)後、耐火性のレンガづくりの建物が多く建てられた。しかし、レンガづくりはあくまで「耐火」が目的で、「耐震」ではないので10年前の地震では被害を受けた。

今回、19世紀後半の大火災後に迎えたGold Rushの時代、カナダ西岸に向う船の玄関口だった頃のシアトルを展示したKlondike Gold Rush National Historical Parkに行く機会があった。
レンガづくりの建物は、2001年地震後、取り壊しを免れ、改装後2006年に展示館としてよみがえったもので、むしろ建物の方に興味がいった。


 1890年代のGold Rush時代にCadillac Hotelとして開業。
 (2nd Ave S&S Jackson St)
1970年、シアトル市内のホテル火災後、
スプリンクラー設置が義務付けられたため、廃業。
2001年の地震で外壁が崩れるなど被災。その後改修され、
装い新たに2006年Gold Rushの展示館に。

 一攫千金を夢見て。
別の展示物では
100,000人のうち300人しか50,000ドル
(今の金額で330,000ドル)以上、
稼げなかったとのこと。厳しい~

 2001年地震での被災状況のパネル

建物改修の際、補強され筋交い(Diagonal Brace)も入っている。


それにしてもシアトルの天気は変わりやすい。
 こんなふうにきれいに青空が見えると思ったら

 展示を見終わって建物を出たところ、雹(hail)が降ってきた。
少し見にくいが路面の白いのが雹
雨宿りも兼ね、再度じっくり見れました。

雨上がりのOccidental Park