シアトルも2月28日マグニチュード6.8のNisqually地震から丸10年を迎えた。
この地震で被災したウォーターフロント沿いのAlaskan Viadictのトンネル化や防潮堤の取り替え工事が具体化する現在、トンネル工事の巨額の費用負担をめぐりシアトル市が反対。しかし、この高架橋、現在応急修理のみであり、市民の安全確保という観点から、一日も早い解決を望むところである。
このNisqually地震で特にPioneer Squareで建物の被害が出たと聞く。
Pioneer Square、シアトル発祥の地で、1889年の大火災(Great Seattle Fire)後、耐火性のレンガづくりの建物が多く建てられた。しかし、レンガづくりはあくまで「耐火」が目的で、「耐震」ではないので10年前の地震では被害を受けた。
今回、19世紀後半の大火災後に迎えたGold Rushの時代、カナダ西岸に向う船の玄関口だった頃のシアトルを展示したKlondike Gold Rush National Historical Parkに行く機会があった。
レンガづくりの建物は、2001年地震後、取り壊しを免れ、改装後2006年に展示館としてよみがえったもので、むしろ建物の方に興味がいった。
1890年代のGold Rush時代にCadillac Hotelとして開業。
(2nd Ave S&S Jackson St)
1970年、シアトル市内のホテル火災後、
スプリンクラー設置が義務付けられたため、廃業。
2001年の地震で外壁が崩れるなど被災。その後改修され、
装い新たに2006年Gold Rushの展示館に。
一攫千金を夢見て。
別の展示物では
100,000人のうち300人しか50,000ドル
(今の金額で330,000ドル)以上、
稼げなかったとのこと。厳しい~
2001年地震での被災状況のパネル
建物改修の際、補強され筋交い(Diagonal Brace)も入っている。
それにしてもシアトルの天気は変わりやすい。
こんなふうにきれいに青空が見えると思ったら
展示を見終わって建物を出たところ、雹(hail)が降ってきた。
少し見にくいが路面の白いのが雹
雨宿りも兼ね、再度じっくり見れました。
雨宿りも兼ね、再度じっくり見れました。
雨上がりのOccidental Park